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「ヘリテージ」

第8回 絵図で辿る三大洋風建築 「第一国立銀行」(下)

1872(明治5)年2月、銀座大火により焼失した築地ホテル館からバトンタッチされるかのように、その4カ月後、東京に再び洋風建築が誕生します。日本最初の銀行となる「第一国立銀行」です。
二代喜助の設計施工による第一国立銀行は、東京の新名所として人々に親しまれ、多くの錦絵や石版にもその姿を残しています。

錦絵「東京海運橋第一国立銀行の全図」孟齋画
錦絵「東京海運橋第一国立銀行の全図」孟齋画

斬新で豪壮!

木造5階建て、延床面積約1,木造5階建て、延床面積約1,295m2、旗竿の先端までの高さが26m、総工費は約4万7,600両。1872(明治5)年に開業した新橋停車場の総工費(約2万2,100両)と比較しても、いかに豪壮な建物であったかがうかがえます。
建物の一番の特徴は、何と言っても、洋風建築に伝統的な城郭建築を組み合わせたその斬新な意匠です。
ベランダの漆喰彫刻(こて)、建物最上階の八角の塔屋、石張りされた外壁など、洋と和が美しく調和したデザインに、二代喜助の確かな腕を見ることができます。
しかし、着工に至るまでには5案もの図面を書き直し、文明開化にふさわしい、今までにない建物を造るために腐心を重ねていたのでした。

渋沢栄一に指導を仰ぐ

第一国立銀行の初代頭取である渋沢栄一は、『日本最初の銀行建築』と題し、「当時のこと銀行建築のことは知ろう筈もない。実物を見たことももちろんない。(中略)とにかく清水一個の頭から絞り出し建てた。出来上がったものを今日から見れば、或いは抱腹すべきものであるかもわからぬが、当時にあっては我が国におけるもっとも最初の、そして他に類のない銀行建築である」と高く評しています。(『建築世界』第9巻第4号特別号/1915(大正4)年4月発行)
日本資本主義の父と言われる渋沢と喜助の出会いは、この第一国立銀行建設のころ。当社はその後、渋沢が亡くなる1931(昭和6)年まで、60年という長い歳月にわたり、経営上の指導を仰ぐことになります。

模型「第一国立銀行」
模型「第一国立銀行」
1930(昭和5)年、建築家・堀越三郎が復元した図面を基に制作。掘越は、1913(大正2)年~1917(大正6)年清水組在籍。明治初期の洋風建築研究者として活躍した