第27回 墨壺と清水組大工道具箱
当社の歴史は、初代清水喜助が1804(文化元)年、神田鍛冶町で大工業を開業したことに始まります。木造建築が主流の当時、職人たちは木材を加工する道具に大変こだわったといいます。戦後、急速に機械化が進み、多くが電動工具へと変わっていきましたが、当社には江戸期から昭和初期にかけての大工道具類が残されています。
職人自らの手が生みだす道具
墨汁を含ませた糸を弾くことで用材に墨付けを行う道具が墨壺です。新年の仕事初めに行われる当社の伝統行事、手斧始式の墨打ちの儀でも使われています。
かつて墨壺は、使用する職人自らの手によって作られるものでした。実用性だけではなく、その形には職人の技や個性が表れています。
当社は、清水家から寄贈された二代喜助が用いたとされる品をはじめ、明治・大正・昭和にわたって50年の時を清水組と歩んだ浅井長次郎※が収集した品々など、江戸時代の作とされる多くの墨壺を収蔵しています。
動物や故事を彫刻したもの、七宝焼きで側面を飾るもの、実用性を重視して仕上げられたものなど、さまざまな形の墨壺には、製作者のこだわりが感じられます。
当社が収蔵する墨壺については、「墨壺の履歴書」(1994(平成6)年・住宅総合研究財団(現・住総研)発行)に詳しく紹介されています。
※浅井長次郎(1873~1955)1984(明治17)年、清水満之助店に入店。後に名古屋・大阪・京都出張店主任、店史編纂の調査係長を務める。父親の藤吉は二代喜助の弟子であった。
丸喜印の大工道具
1988(昭和63)年7月、当社技術研究所内の倉庫から、五つの大工道具箱が見つかりました。ふたに丸喜の社章が記され、側面に「合資会社清水組備品」の札が貼られた木箱には、計120点を越す大工道具が収納されていました。
この大工道具箱は、1936(昭和11)年に正式な社章となった「七五三丸喜」が記されていることなどから、その当時の職人に支給されたものと考えられています。
そのため、鉋や鑿などの柄には、一挺ごとに社章と番号が付されています。
また、道具箱の中には砥石や金剛砂などの手入れに使う道具も収納されていました。職人たちは、道具の手入れを怠らず、大切に使い込んでいたのです。
自らが使う道具に精緻な彫りを刻み、長く使うための手入れを欠かさなかった職人たち。その手によって使い込まれた道具類からは、ものづくりに励んだ職人の息吹が感じられます。
この大工道具箱は、1936(昭和11)年に正式な社章となった「七五三丸喜」が記されていることなどから、その当時の職人に支給されたものと考えられています。
そのため、鉋や鑿などの柄には、一挺ごとに社章と番号が付されています。
また、道具箱の中には砥石や金剛砂などの手入れに使う道具も収納されていました。職人たちは、道具の手入れを怠らず、大切に使い込んでいたのです。
自らが使う道具に精緻な彫りを刻み、長く使うための手入れを欠かさなかった職人たち。その手によって使い込まれた道具類からは、ものづくりに励んだ職人の息吹が感じられます。