第39回 「迎賓館赤坂離宮」
各国から来日した国賓・公賓らをもてなし、首脳会談や調印式の会場ともなる「迎賓館赤坂離宮」。明治期洋風建築の集大成ともいえる建物は、現在国宝に指定されています。当社は昭和の大改修から携わり、2019(平成31)年3月、最も格式の高い「朝日の間」の内装改修を終えました。
東宮御所から迎賓館へ
迎賓館赤坂離宮は、1909 (明治42)年、当時の皇太子(後の大正天皇)の住まい、東宮御所として建てられました。設計および工事の統括に任ぜられたのは、明治期を代表する建築家、片山東熊※1です。外観は、豪華な装飾が特徴的なネオ・バロック様式。室内は、当代一の芸術家らによる工芸品、洋式の天井画、かぶとなどの伝統的意匠を用いたレリーフで彩られ、建物全体がまるで一つの芸術品とも呼べる仕上がりとなっています。
戦後、皇宮財産であった建物は国に移管され、国立国会図書館などに使用されました。1963(昭和38)年、国の迎賓館とすることが決定。この時当社は、事前調査の段階から携わり、改修工事のJV代表をつとめました。
工事は、建物の文化財的な価値を考慮し、可能な限り原型を維持保存したまま、迎賓施設として必要な諸設備を整備する方針で進められました。それゆえ「単に改修するというだけではない、極めて困難な工事となった」と当時の担当者は語っています。
事前調査から約10年を費やした大改修は、1974(昭和49)年に完了し、迎賓館として新たなスタートを切りました。そして、2009(平成21)年に、明治期以降の建造物として初めて国宝に指定されました。
※1片山東熊(1854~1917)宮内省内匠寮技師をつとめる。代表作に、奈良国立博物館、京都国立博物館、仁風閣など。いずれも国重文
工芸美術の技が求められた内装改修
迎賓館の中で、外交活動に主に利用されるのは、2階にある4つの広間です。その中で最も格式の高い広間が、正面玄関から続く中央階段を上った先の「朝日の間」です。当社は、約40年ぶりとなるこの「朝日の間」の内装改修を総合評価方式で請け負いました。
この工事では、広間の名前の由来となった天井画の修復をはじめ、紋ビロード※2を用いたカーテンの復元、金箔押しを施した石こう装飾の修復といった工芸美術の技が必要とされました。これに対し当社は、高い技術力を持つ職人の方たちとともに難題を解決し、2019(平成31)年3月に工事を終えました。この時の技術の数々は、「国宝建築を支える技」として国土交通省から顕彰を受けています。
往時の輝きを取り戻した「朝日の間」で、直接職人技を見ることができます。
※2紋ビロード特殊な手法で紋様を浮き出させた織物。
建物概要
- 所在地
- 東京都港区元赤坂2-1-1
- 構 造
- 鉄骨補強れんが造、一部石造
地上2階、地下1階
- 延床面積
- 15,378m2