第10回 「為替バンク三井組」(下)
1874(明治7)年の為替バンク三井組竣工時、二代喜助は59歳を迎えます。築地ホテル館、第一国立銀行を手掛けながら、喜助は西洋建築の意匠や構造様式など新しい技術の習得に励み、それらを集大成し完成させたのが為替バンク三井組でした。
三井組の象徴
屋根上の大鯱がひときわ目立つこの建物は、3階建て、総建坪620坪(約2,050m2)、地上から鯱の頂上までの高さが80尺(約24m)。外観は木造漆喰塗りのいわゆる土蔵造りで、アーチ形の扉や1・2階のベランダ、3階正面のバルコニー、ポーチとベランダのコリント式列柱などにより、海運橋に建つ第一国立銀行に増して洋風色が濃く表れています。
総工費は約5万5,400円、請負金とは別に鯱一対分111円9銭と三井組の記録に残されています。この鯱には、施主の三野村利左衛門の熱い思いが込められています。
当時、鯱は高い社会的地位の象徴として、主に城郭建築に用いられていました。そこで、三野村は三井組の勢いの象徴となる建物には、鯱こそふさわしいと考えたのです。
建物とは、時代や文化、人々の思いを映し出す器です。文明開化の一つの象徴ともいえる「為替バンク三井組」は当時、その代表格であったことに間違いありません。それを見事に仕上げたのは二代喜助であり、ものづくりに懸けた姿が偲ばれます。
明治文化の貴重な遺宝
写真の柱頭は、為替バンク三井組の建物正面ベランダの柱の一部で、本社の2階に展示しています。1897(明治30)年4月の建物解体後、行方不明になっていましたが、1933(昭和8)年に港区赤坂台町にある咲柳山報土寺の庭隅で偶然にも発見され、それを聞き及んだ当社が譲り受けました。八角形をした柱頭の各面には、アカンサスの葉が刻まれ当時の美しい柱の飾り彫刻を見ることができます。