第11回 「国立屋内総合競技場(主体育館)」
1964(昭和39)年、第18回オリンピックがアジアでは初めて、東京の地で開催されました。その記念碑的建物となったのが国立屋内総合競技場(現・国立代々木競技場)です。水泳競技用施設として計画された当建物のコンセプトは、「50mプールと飛び込み台を備えた、15,000人を収容できる芸術性の高い建物」。設計者の丹下健三は、「オール・ワイヤー・ロープによる吊り屋根構造」案を発表します。それは世界に類のない、前人未踏の技術への挑戦でした。
国立屋内総合競技場
(主体育館)
- 竣 工
- 1964(昭和39)年9月
- 意匠設計
- 丹下健三研究室及び
都市・建築設計研究所
- 構造設計
- 坪井善勝研究室※
- 設備設計
- 井上宇市研究室
- 建築面積
- 20,620m2
- 延床面積
- 34,204m2
- 建物構造
- RC造、SC造および
高張力による吊り屋根構造 B2-2F
※坪井善勝(1907~1990)構造家の第一人者として活躍。東大名誉教授、日本建築学会会長、坪井善勝研究室代表取締役などを務めたほか、1984(昭和59)年~1987(昭和62)年には技術顧問として当社に在籍。丹下健三とのコンビで多くの作品を手掛け、構造デザイナーとしても高い評価を得ている。
新たな技術への挑戦
ワイヤーロープによる吊り屋根構造とは、2本の巨大な柱(メインポール)の間に渡したワイヤーロープ(メインケーブル)の左右に碁盤の目状にワイヤーロープを張り、その上に厚鉄板で葺いた屋根を架けるというもの。これにより、柱が1本もない巨大な空間を造り出すことができます。
また、建物の平面も、木の葉を縦に切り上下にずらして組み合わせたような形状をしており、入札に詰めかけた建設各社はこの設計案に一様に度肝を抜かれたという、当時の記録があります。
技術、工期、予算と厳しい条件に当社幹部の大半が尻込みする中、最後の決断をしたのが清水康雄社長(当時)でした。そこには、「難工事ではあっても技術力を結集して後世に残る建物を造りたい」という強い信念がありました。
工事にかける思い
史上空前の吊り屋根構造の施工は、予想以上に困難を極めます。試行錯誤を繰り返しながら、設計者、施工者が一体となって幾多の難問に挑戦。吊り屋根の施工を担当した当社OBの大木栄一は、当時の様子を振り返り次のように語っています。
「前例のない建物で、設計図だけでは納まり等も分からない。誰もが手探り状態で打ち合わせと勉強の連続だった。(中略)架け終えたワイヤーロープは陽に当たると伸びてしまうため、その調整には毎晩徹夜で一カ月以上もかかったが、オリンピックのためにぜひとも実現するんだという使命感に燃えていたことも大きかった。一緒に仕事をしてくれた職人さんたちも同じ気持ちだったと思う。私の人生でもっとも忘れられない仕事であった」。
大晦日の深夜にまで及んだ工事の様子が、1963(昭和38)年年末の「ゆく年くる年」(NHK)で放映され、工事関係者はとても勇気づけられたそうです。無事に完成した建物を前に語った清水康雄社長の言葉が、関係者の思いを代弁しています。
「延人員20万人を動員し、1年6カ月におよぶ昼夜をわかたぬ突貫工事は、技術的にも経済的にも決してたやすい工事ではなかったが、オリンピックへの熱意を示すモニュメントとして意義深い工事を完遂したことをいささか自負するとともに、今後もこの事業を通じて、国家社会の進歩にいささかかなりとも貢献いたしたい」。